〜地域社会との交流の輪を広げ、人びとの健康と笑顔あふれる生活、そして子どもたちの夢を応援〜

スポーツは豊かな心とからだを育むもの―
スポーツは人と地域を結ぶもの―
スポーツは夢と感動を生むもの―

ワクナガレオリックは、次世代を担う子どもたちへハンドボールを通じて、「スポーツの面白さ」「チームで団結することの大切さ」、そして「努力することのすばらしさ」を伝えたいと願っています。
また、地域に根ざした活動を推進し、その地域のスポーツ文化の醸成に貢献することは、企業スポーツの役割であると考えています。

1978年よりスタートした地域社会でのハンドボール指導。地元甲田町で始めたハンドボール教室は年々広がりを見せ、1994年の広島国体ハンドボール競技の地元開催、そして2008年には地元甲田町出身のレオリック選手も誕生いたしました。
2009年に創部40周年を迎えたワクナガレオリック。人びとの健康を願いサポートする製薬企業だからこそ、今後もスポーツ支援を通じて、子どもたちの心とからだの健康づくりを応援し、地域社会との交流の輪を広げてまいります。

Story

01:地域に根ざすワクナガハンドボールクラブとして

1969年(昭和44年)に産声をあげた湧永製薬ハンドボール部。創部から10年が経った1976年(昭和51年)、本拠地を大阪から広島県高田郡甲田町(現、安芸高田市甲田町)に移転し、新たなスタートを切りました。折りしもその年は、第1回日本ハンドボールリーグが発足した記念すべき年でもありました。

当時、日本におけるハンドボール競技の知名度はまだまだ低く、サッカーやバレーボールといった他球界が、企業チームによる日本リーグを次々と発足させた中、ハンドボール界はようやくこの頃リーグ発足にこぎつけたところ。ましてや広島県北部の町では、競技自体をまったく知らないという人も多い状況でした。

「せっかく甲田町にお世話になっているんだ。この町の子どもたちにハンドボールの面白さや魅力を伝え、ハンドボールを通じて地域の方々と交流ができれば」---会社と選手たち、双方のそんな思いが実り、単発イベントとしてハンドボール教室を開催することになったのは、広島への移転から丸2年が経った1978年(昭和53年)のことでした。

まずは甲立小学校で、児童の体力づくりと健全育成、そしてハンドボール競技の普及を目指し、単発のハンドボール教室が開催される運びとなりました。
とはいえ、競技に必要なゴールすらない状況。そこで、生産工場の技術社員が小さいゴールポストを特別に製作し、小学校の体育館に設置。これで、毎日ハンドボールを楽しんでもらえる環境が整備されました。
いまから振り返れば、ハンドボール部の選手たちだけではなく、甲田町の広島事業所で働く社員の思いと行動が実り、実現したハンドボール教室でした。

指導にあたった選手たちが、子どもたちの指導・育成を通じて何よりも願ったことは、「ハンドボールを通じて、夢中になれることを見つけてほしい」「一生懸命練習をすれば、今日できなかったことが明日はできるようになる。人間やればできる、という努力することの大切さを学んでほしい」、そして「仲間とともに力を合わせること、チームプレーのすばらしさを味わってほしい」ということでした。

また、「先生を含め周囲の大人・仲間にきちんと挨拶をする」「練習後は、自分たちで隅々まで掃除をする」といった礼儀作法も厳しく指導し、ハンドボールの習得以前に、人として大切なことを伝えようとしました。

このような活動を地道に続けていくうちに、最初は単発のイベントであったのが、定期的なハンドボール教室へと発展していきました。
そして教室は多方面で話題となり、甲立小学校だけではなく、甲田町すべての小学校で開催されることになりました。
選手の指導が近隣の中学・高校へと地域的な広がりをみせる中、保護者の方をはじめとする地域の方々との交流も生まれ、「ハンドボール」を通じた交流の輪が広がっていくことになります。


次号へつづく
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