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トーク・マイ・セルフプリベンション
高橋 勇市

諦めかけた、日々 聞こえてきた、目標

 夢に向かって走り続ける人がいます。たゆまぬ努力を積み重ね続けるパラアスリートの高橋勇市さんです。高橋さんは高校2年生の頃、目の疾患「白点状網膜炎」を発病。視力が急激に低下し、日常生活に支障をきたすようになります。
「あの頃は、目標や夢なんてありませんでした。一時は生きることさえ諦めかけていました…。高校を卒業しても、就職もできない、大学にも行けない、これからどうすればいいか…ただただ悩む日々でした」
 希望を見出せぬなか、高橋さんは親戚を頼り上京。国立身体障害者リハビリテーションセンターで、将来失明したことを想定した歩行訓練や、点字などを学びます。同センターの理療教育課程へ進み、マッサージ師の資格を取得しますが、 難病の「網膜色素変性症」を併発し、34歳で完全に失明します。
「それでもマッサージ師として自分の店を開きました。ある時、仕事中にラジオから“アトランタパラリンピックのマラソンで日本人選手が金メダルを獲得しました”というニュースが流れてきたんです」

金メダル獲得その原体験は小学生時代

 ニュースをきっかけに、高橋さんは身体障害者による世界最高峰のスポーツ大会であるパラリンピックの存在を知ります。
「私は生まれつき体が弱く、小学5年生の頃に百日咳にかかりました。3か月間学校を休み、登校できるようになるとすぐに運動会。虚弱体質で、なおかつ病み上がりでしたから、徒競走はもちろんビリ。悔しくて、“来年は必ず一等賞を取ろう!”と決め、その日から毎日、休み時間に校庭を走り続け、 一年後の運動会で一等賞を取ることができました」
 小学生の時に味わったあの感動を再び味わいたい。その純粋な思いから、パラリンピックで金メダルを取るという大きな夢を抱き、スタートを切った高橋さんですが、練習中に大腿骨を骨折する大ケガを負うなど、決して楽な道のりではありませんでした。
「人工股関節にすると日常生活は送ることができても、走れなくなる可能性がある。それだけはどうしても避けたくて、保存療法を選びました」
 激痛に耐えながらリハビリを続け、2003年の全日本盲人マラソン選手権に出場し、優勝を飾ります。その後も快進撃は止まらず、2004年には国際盲人マラソン大会で2時間 37 分 43 秒の世界記録(当時)を樹立。 そして同年のアテネパラリンピックのマラソン競技で、見事に金メダルを獲得。あの日夢見た一等賞に輝きます。

さらなる夢に向かい挑戦と進化を続ける

 途方もない努力がなければ成し遂げられない偉業も、通過点。高橋さんはさらなる夢に向かって走り続けます。
「簡単にクリアできる目標ではなく、大きな目標を目指して、そこに全力で向かうことを心掛けています。日々、トレーニング後に反省すべきところを見直し、次の練習に生かすようにしています」
 アテネから4年後の北京パラリンピックでは 16 位、さらに4年後のロンドンパラリンピックでは7位に。さらにリオデジャネイロパラリンピックの出場を目指して、高橋さんは新たな競技に挑戦します。 スイム(水泳)、バイク(自転車)、ラン(マラソン)を連続して行うトライアスロンです。
「泳ぎには自信がありませんでした。それこそ小学生の時に 25 mを泳いだぐらいの経験しかなくて…。ただ、水泳さえ練習すれば、マラソンでごぼう抜きできる! という自信がありました(笑)から、金メダルを取るためにトライアスロンに挑戦しました」
 練習を重ねるごとに泳げる距離を延ばし、タイムも縮めていきますが、残念ながら、リオパラリンピックのトライアスロン・視覚障害者のカテゴリーは女子のみの実施に。意気消沈する高橋さんですが、ほどなくして決まったのが「2020東京オリンピック・パラリンピック」の開催です。同大会のトライアスロンでは視覚障害者のカテゴリーも開催されることが決まったため、
「何が何でも出場したい! 新しい夢ができたんです」

忍耐力・気力・努力 常に前向きに走り続ける

 しかし、高橋さんだけでなく、多くのアスリートが目指す夢の舞台は、新型コロナウイルス感染症の猛威によって延期に。コロナ禍によって練習環境も激変します。ジムに通うことができず、トレーニングがままならない状況になりますが、
「妻からトレーニングマシーンを購入して良いという許可が下りました(笑)」
 自宅でも本格的なトレーニングが可能となり、以前にも増して練習量が増えたと笑顔で語ります。常に前向きな、その姿勢が高橋さんの強さの根源なのかもしれません。
 取材は5月中旬―。東京パラリンピック・トライアスロンの出場を目指し、高橋さんは国内やヨーロッパ各地で行われる大会に出場する準備を行っていました。
「日々の体調管理は、こまめに睡眠をとることです。午前の練習後に昼食をとり、約2時間の昼寝。午後の練習のあとにも仮眠をとり、夜に練習して夕食後に就寝。夜中の2時、3時に目が覚めるので明け方に事務的な仕事を片付けて、朝6時、7時に練習をはじめる、その繰り返しです。食事面では、練習中は炭水化物をひかえて、 レース前夜と当日はエネルギーになる炭水化物のみを摂取します。大好きな、お米で。海外遠征の際もお米は欠かせません。レース後は筋肉が疲労しているので、タンパク質を補給するために肉料理をたくさん食べます」
 コロナ禍によって家にいる時間が長くなり、料理のレパートリーも増えたそうです。アスリートとして健康意識は強い高橋さんですが、その原体験も小学生時代にありました。
「体の弱い私を心配して、母が買ってきてくれたのが滋養強壮剤。原液をカプセルに半分ほど入れて、それを飲んでいましたが、ある時、カプセルを?んでしまって…。あの濃い味がおいしくて、それ以来、カプセルを?んでから飲むようになりましたね(笑)。健康維持もそうですが、走ることも、何事も、継続は力なり! 忍耐力・気力・努力です」
 毎日欠かさず、校庭を走り続けた日々、幾多の困難を乗り越えて走り続けた日々はつながり、高橋さんは今も夢に向かって走り続けています。諦めず、逃げず、ひたすらに。

1965年秋田県横手市出身。2004年4月国際盲人マラソンかすみがうら大会にて、当時、世界最高記録を樹立。同年、アテネパラリンピックのマラソンで金メダル。天皇陛下より銀杯授与、内閣総理大臣賞など数々の賞を受賞。

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