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トーク・マイ・セルフプリベンション
プロフィギュアスケーター、解説者、指導者 本田 武史

悔しいという気持ちが自分を奮い立たせてくれた

 日本男子フィギュアスケートのパイオニア的存在、本田武史さん。引退後も自身が培ってきた経験や知識を生かし、解説者や指導者として活躍しています。
 今は大変人気のあるフィギュアスケートですが、本田さんが始めた頃は男子のスケーターが少なく、練習環境も整っているとは言えない時代でした。
「今もそうですが、スケートリンクの数が足りなかったのです。僕自身、スケートのために中学1年生の時に福島から仙台へ引っ越しました。祖父は大反対でしたけど、結果を出せなかったら帰ってくると約束をして行きました」
 仙台で、今でも共にプロスケーターとして活躍する荒川静香さんと出会います。
「自分と比べると荒川さんのレベルが高くて、全然かなわないという状況でした。男子選手も少なかったので、悔しい気持ちも大きかったです」
 そして中学3年生の時に出場した全日本ジュニア選手権で見事チャンピオンに、推薦枠で出場したシニアの全日本選手権でも優勝するという偉業を成し遂げます。
「その後、世界選手権に出場したのですが、その時の衝撃は今でも覚えています。自分の演技は、世界レベルでは劣っている。これでは世界で戦えないと実感しました」
 選手権後、アメリカに拠点を移した本田さんですが、コミュニケーションが成り立たないという大きな壁にぶつかります。
「英語がまったくわからない状況で、しかもコーチはロシア人。今のようにインターネットの環境も整ってなかったので、日本の友人や家族とも気軽に話せない。ホームシックですよね。スケート用語はなんとなくわかるけど、伝えたいことが伝えられない。 そんな状況で出場したのが、長野オリンピックでした」

視聴者の方に気持ちよく見てもらうための解説を

 それが人生の転機だったと振り返ります。
「オリンピックにも出たし、アメリカに戻る勇気もなく、正直スケートをやめようと思っていました。そんな時に母から“やらずに諦めるより、やってから後悔したら”と言われて。もう一度アメリカに行きました」
 数年後には練習拠点をカナダへ。練習仲間がいることで、徐々に言葉の壁も克服。メンタル面が強くなり、現在では主流となる4回転ジャンプを日本人として初めて競技会で3回成功させます。
 現役を引退後は、プロスケーターの道へ。指導者や解説者としてもフィギュアスケートに携わっています。臨場感が伝わる解説は、わかりやすいと定評があります。
「解説する時は、音楽とスケーターの演技を邪魔しないよう、簡潔にまとめることを心がけています。一番大切にしているのは、視聴者の方が気持ちよく見ることができているかどうか。せっかく盛り上がって楽しんでいるところに、 マイナスのコメントを入れたら気分が下がってしまいますから」
 他にも練習している選手たちの良いところや見どころをチェックし、コメントを入れるなど地道な努力を欠かさない本田さん。選手からも“自分の演技を見直した時、コメントが参考になりました”と言われることもあるそうです。
 指導者として心がけていることは。
「スケートを好きでいられるように指導しています。一人ひとり体格も骨格も違えば、上達するスピードも異なります。 常にその人にベストな方法を提案していきたいと思っています。ジャンプは技術だけでなく、体力も必要です。必要最低限の力で飛ぶ “省エネジャンプ”の方法もアドバイスしたいですね(笑)」

アイスショーでは新しい自分を見せていきたい

 2022年の北京オリンピックですが、注目すべきところは。
「なんといっても羽生選手のオリンピック3連覇なるかというところでしょう。あとは現在ジュニアで活躍中の鍵山選手と佐藤選手。鍵山選手のジャンプ力は天性のものを感じますし、佐藤選手は4回転を何回も飛べる選手です。宇野選手もいますしね。男子フィギュア界はこれからもどんどん伸びていくと思います」
 新型コロナウイルスの影響で延期となった東京オリンピックについても伺いました。
「器械体操の白井選手に注目しています。フィギュアはまっすぐ上に飛ぶ4回転ですが、床は体をひねりながらの4回転なので、腕の使い方などをフィギュアで生かすことができるかなと思っています。また、陸上の100mは、 10 秒もない一瞬の中に選手の4年間の努力が詰まっている。そこにアスリートの想いを感じてしまいますね」
 プロスケーターになられてから、スケートへの想いに変化はありますか。
「アイスショーは現役とは違う緊張感があります。挑戦したことのない曲で、新しい自分を見せたいという気持ちが強くなりました」
 いつでもショーに出られるよう体調管理は怠らないようにしているそうです。
「よく散歩をして、週に3日はアイスショーの練習し、朝から夜遅くまでリンクでレッスンしています。食事は食べ過ぎないように注意し、ショーの前に一気に絞り込みます。今は4時間程度の睡眠なので、空き時間には寝るようにしています」
 そして 10 年以上愛飲しているのが、キヨーレオピン。
「友人に勧められたのがきっかけです。体調によって飲み分けたりもします。おかげさまで、家族全員体調を崩しても、自分だけは大丈夫なんです」

過去は振り返らず前を見て頑張りたい

 今後の目標について伺いました。
「プロスケーターとして、可能な限り滑り続けたいですね。やめるのは、トリプルジャンプが飛べなくなった時と決めています。 そして今の選手たちのスケート人生をさまざまな面からサポートしていきたいです」
 毎日毎日、新しいことが起きるから、過去を振り返らずに前を見て頑張りたい。そう思うのは、あの時の母の言葉があるから。
「今でも忘れられないんです。あの時、こうしていたら…と思うのは、絶対に嫌。諦めるのは簡単だから、とりあえずはやってみようと決めています」
 もうひとつ、チャレンジしたいのが、趣味でもある家電を扱うアドバイザーの資格取得。
「パソコンも自分でカスタマイズしています。配線をいじるのがストレス解消ですから(笑)。祖父が大工で配線工事をする姿を見ていた影響かな。今後は勉強も頑張りたいです」
 読者の方へ、一言お願いします。
「僕は何事にもチャレンジという人生なので、年齢に負けずにいろいろなことに挑戦してほしいです。僕も頑張りますので(笑)」
 “やらずに後悔したくない”が本田さんの信条。これからのご活躍、期待しています。

1981年福島県出身。史上最年少で全日本選手権初優勝、1998年長野オリンピックへも史上最年少の16歳で出場。引退後は解説者や指導者として選手の育成に携わりながら、プロスケーターとして活躍している。

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